10月
24
2014

お金がなくていつも惨めな感じがする。

服屋に行き、「あ、この服のデザインいいなぁ」と手に取って見ますよね。それから僕は、全体像を見てるフリして
まず手探りで値札を探します。セールストークに入ろうとする店員との間合いも気にしつつ。
もうこの時点で若干もの悲しいのですが、それで素早く値段を確認し予想の二倍以上高かった服を苦笑いしながら
棚に戻す時、切実にお金が欲しいと思います。今までにどうしても諦められず即日審査をしてもらえる消費者金融(即日審査の消費者金融カードローン|急ぎでお金が必要な時も安心)で審査をしてお金を借りたこともありましたが、それはめったになくてほとんどが諦めています。

セールストークに入ろうとしてた店員が空振りかと肩を落とす様を横目に見つつ。

この感覚の根本としては心配したくない、見栄を張りたいというのが強くあるからだと思います。
なにか買い物する際も、レジに出す前につい財布の中身を確認してしまいます。手持ちちゃんとあったっけ、払えるよな?という
妙な不安感。「ココからココまで全部ください」なんて言える大金持ちには少しの蔑視と大きな大きな羨望があります。
きっと心配事なんてないんだろうなーとすら無責任に思ってしまいます。心配事が全く無い、つまり完全に幸福な状態にあると
無意識的に見ているのかもしれません。
またやっぱりセコセコ確認している姿もみみっちぃと自覚してます。しっかりしている、堅実なんだと自分を言い聞かせてはいますが
やはり男たるもの値段なんか気にせず特上のモノをどかっと買っている姿はカッコいい。十円二十円で頭を悩ます男よりも
ウン億稼いでウン億借金また稼ぐ、みたいな男のほうが本能的にモテるに違いありません。羨ましい限りです。
何事も細々と制約をかけた状態より、無制限になんでもアリな状態のほうが一時的になのかもしれませんが楽しくラクなのは自明の理です。
現代の制約とはその一部は、いや、大部分はつまり金銭であり、その制約を失くしたい、お金持ちになりたいというのは当然というもの。
清貧の素晴らしさを語るにしてもやはり一度頂点を極めてから言うから説得力があるのであり十円二十円で一喜一憂する男が清貧の素晴らしさを
語っても鼻で笑われるに違いありません。清貧には多分誰でもすぐなれますがお金持ちにはあまりに多くの特殊条件が必要となります。
ごく一部となる何かを持っている、持っていた人の意見にこそ重みはあり、そこは太古と変わらぬ強者こそ正義であり正解であるといった
厳然としたルールが変わらずあるのかなーなんて思います。強さはあったほうがいい、それと全く変わらぬレベルで今なら
お金はあったほうがいい、お金が欲しいということですね。

 

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